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このブログのタイトルは、トリビアの泉のナレーション風に書かれている。

 なんというか、いつもにも増してどうでもいいような内容を匂わせるタイトルですね。ですがこのタイトルに関して最近ある危機感のようなものを感じてきたので、私にしてみればとても重要な内容です。

 ブログも四ヶ月続けていると生活の中の習慣として定着するようになってきました。更新は月に一回しかせずに、しかもギリギリの月末になって書き始めるという三日坊主と大差ない習慣ではありますが・・・。二回目を書く時点で既に失速し、今では月に一回だけ書くというのが暗黙の更新ペースのようにまでなってしまいました。「日記」だと月一更新の現状と矛盾するので、名前を「ブログ」に変えたのも無理からぬことでしょう。そういった更新に手が回らないやるせなさも含め、全てはトリビアの泉が放送されていたあの日から始まったのです。

 ブログを始めたのはホームページを開設してからしばらく経った頃で、最初から書くことを決めていたわけではありませんでした。とりあえずという感じで始めたものだったので、一回目を書く時にだいぶ手間取ったのを覚えています。私は文章を書く場合に書き出しの時点でつまずくタイプなので、その時も例に漏れずタイトルを決めるのにさえ頭を捻っていました。その最初の日記タイトルを考えている時にちょうどテレビで放送していたのが、トリビアの泉でした。とりあえず何でもいいから書き始めようということで、トリビアのナレーションをBGM代わりにしながら書き進めていったのです。何かの作業する際に後ろでかけられているBGMは、作業時の心持ちにも影響を与えるのでしょうか。そうした結果、書きながら耳にしていたトリビアの泉のナレーションにつられて、その時考えていたタイトルもそのナレーション調にしてしまったのです。結局その時点では完成せずに、その後数日かけてやっと完成したのですが。

 そんな風につけられたタイトルですから、普通の文と変わった感じになるのも無理はありません。最近になってそれぞれのタイトルを通して読んでみた際、それの弊害を実感しました。まるで気難しい人間が文章を書いているように見えるのです。

 堅めで書かれている文体は堅苦しい性格だからではなく、あのナレーションに合わせて書かれたものだからです。わざわざ句読点をつけているのも几帳面な性格だからではなく、あのトリビア部分を言うまでの間を表しているのです。そういった少し違うイメージを持たれてしまうとブログを始めた主旨から大きく外れてしまうので、今回それを払拭するために弁明をしている次第です。大して意味もなくその場の流れで決めてしまった文体なので、あまり気にしないでください。

タイトルを最大限に表したようなどうでもいい話を終わります。

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